記事移動について

ご訪問、お問い合わせいただき、有難うございます。

こちらのブログの記事は下書きに戻し、書き直すなどして、もうひとつのブログに投稿しました。

他の美術関連記事も同じように順次移行致します。

尚、この記事は作業が終わり次第削除する予定です。

よろしくお願い致します。

 

11月14日、「hanna_and_art」はWordpressに移転致しました。

よろしければこちらからお願い致します。

 

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com


hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

『死体が語る歴史 古病理学が明かす世界』から、寵姫アニェス・ソレルの死因

hannaandart.com

 

hanna-no-shoko.com

hannaandart.com

books.hannaandart.com

books.hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com


hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

 

hannaandart.com

hannaandart.com

books.hannaandart.com

 

books.hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hanna-no-shoko.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hanna-no-shoko.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

 

hannaandart.com

4度もお持ち帰りされた、レンブラントの『ヤコブ・デ・ヘイデン3世』

シストルムとメナト 『エジプト神話の図象学』
hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

実物は小さい、フェルメールの『レースを編む女』

 

hanna-no-shoko.com

hanna-no-shoko.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

hannaandart.com

カメオ

カメオ

カメオ

いまいちボケてる画像ですが。

 

英国エドワーディアン・アンティークのカメオです。大きさは縦4㎝、横3㎝。

 

カメオは全然詳しくありません。

「当時流行ったデザイン」と、入手した時聞いたことがあります。

 

20代の頃はこういうの、結構好きでしたねえ。

もう100年経ってるから、立派なアンティーク。

これも「思い出の品」のひとつです。

なつかしー。

デュ・バリー伯爵夫人 ~『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』より

『王たちのセックス 王に愛された女たちの歴史』 

エレノア・ハーマン(著) 高木玲(訳) KKベストセラーズ

  
 
こちらが表紙になっています。
一見「誰?」という感じですが、

『ルイ15世とデュ・バリー夫人』 ジュラ・ベンツール 1874年

ルイ15世とデュ・バリー夫人』 ジュラ・ベンツール 1874年
まず、えー、ルイ15世に見えなーい、と思いました。
デュ・バリー夫人にも見えない。
ルイ15世の時代からほぼ100年後、19世紀に描かれた王とその寵姫です。 
 
  
ポンパドゥール夫人亡き後、ルイ15世の寵姫となったデュ・バリー伯爵夫人(1745年8月1日-1793年12月7日)は、本名をマリ=ジャンヌ・ベキューと言います。
 
貧しい家庭の生まれで、お針子をしている時、デュ・バリーと知り合って囲われ、彼の弟と形だけの結婚。
貴族の身分を手に入れ、宮廷に入ります。

『フローラに扮したデュ・バリー伯爵夫人』 フランソワ=ユベール・ドルーエ  1769年 ヴェルサイユ宮

『フローラに扮したデュ・バリー伯爵夫人』 フランソワ=ユベール・ドルーエ  1769年 ヴェルサイユ

1769年のデュ・バリー夫人の肖像画です。
前任のポンパドゥール夫人には知性では及ばなかったと言いますが、「美しさでは勝っていた」と本書にあります。
 

宮廷に居並ぶ美女は多いが、その中でも夫人は最高の美女に数えられよう。姿かたちに欠けたところは一つもなく、じつに魅力的だった。しばしば髪粉を使わずに、見事な金色の髪を自然なままにしていた。髪はふさふさとしていて、どう結ってよいやら自分でもわからないようだった。大きな青い瞳でまっすぐに見つめ、会う人をとりこにしてしまう。鼻はじつに小さく、肌は目を見張るほど清らかだった。…

 

とは、彼女の元に嘆願に訪れた若い士官の証言です(P70)
 

デュ・バリー夫人の胸像 オーガスティン・パジュー作

デュ・バリー夫人の胸像 オーガスティン・パジュー作

 デュ・バリー夫人の胸像_ Dorieo _ CC-BY-SA 4.0

 
当時、天然痘の為にほとんどの人の肌にあばたがありました。
しかし彼女にあばたはなく、また、若い女性の多くが歯を失っていたにも関わらず、「デュ・バリー夫人が笑うと、真珠のような歯が二列覗いた」そうです。
 
そして、身体を清潔に保つ、お手入れ。
宮廷貴族も大層不潔なこの時代、かなり「特異」な習慣だったようですが、
 

女性たちは複雑に結い上げた髪のなかへ櫛を突っ込んで汚れをこそげ落とした。油ぎった頭皮にシラミがわくと、かゆくてたまらないからだ。それに対してデュ・バリー夫人には、汚れも、臭いも、ノミもシラミも無縁だった。夫人は週に何度もバラの香りの風呂を浴びていた。

 

彼女が宮廷に入った時、彼女が無様に失敗する様子を見物すべく、大広間には多くの貴族が押し寄せたと言います。
しかし、彼女が姿を現すと、
 

そのあまりの美しさに、最も容赦ない敵でさえ思わず息をのんだ。10万リーヴル相当のダイヤモンドで身を飾り、金糸・銀糸を織り込んだドレスの裾は大きく膨らんでいる。宮廷風に膝を屈めて三度お辞儀をするとき、また後ろに下がるとき、デュ・バリー夫人は巧みな足さばきで長い裳裾を脇へはらった。貧民あがりの無様な小娘を期待していた者たちは皆失望した。デュ・バリー夫人の姿は上品でエレガントだった。古い家柄を誇る貴婦人たちと比べても、なんら遜色なかった。(P255)

 
その後の、公妾・寵姫の存在を憎むマリー・アントワネットとの女の闘い、天然痘に罹患したルイ15世崩御
ヴェルサイユを追放され、修道院に送られた彼女でしたが、「デュ・バリー夫人は共同生活にも慣れ、喜んで仕事を引き受け、ミサの時間もきちんと守った」(P294)とあり、最初はあまり好意的でなかった修道女たちの考えが変わって行く件では、「このひと、そんなにイヤなひとではなかったのでは…」との印象を強くします。
 
昔読んだ『ベルばら』では、マリー・アントワネットの側に思い入れるあまり(?)、デュ・バリー夫人に対していい印象は持っていませんでした。
せっかくイギリスに渡り難を逃れたのに、革命の嵐が吹き荒れるフランスへ舞い戻るなど、その行為から、ちょっと能天気な「愚かな女」という見方をしていました。
 
ベッドで王を悦ばせるだけでなく、その明るく人好きのする性格で王を憂鬱から救い、室内を王の好きな花々で埋め尽くし、曲芸師や道化師を招き、オペレッタを上演させる。
 

夫人の母親は多くの貴族の館で料理女として働いた経験があった。高慢な廷臣たちはそのことを悪く言ったが、デュ・バリー夫人は愛する王の美食に飽きた胃袋を、母親に推薦してもらった数々の素晴らしい料理で驚かせた。(P71)

 

著者はデュ・バリー夫人を、「愉快な子どもで、天才的な娼婦で、優しい母だった」と書いています。ルイ15世にとっては、最高の女性であったのでしょう。
 
さて、イギリスに渡った彼女が、危険なフランスに戻って来たのは、革命を甘く考えていた「呑気な愚かさ」?
隠していた宝石類を取りに?
 
以下は肖像画エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる、デュ・バリー夫人の肖像画です。
 

デュ・バリー夫人 1781年 フィラデルフィア美術館蔵

1781年 フィラデルフィア美術館蔵

 

デュ・バリー夫人 1782年 コーコラン美術館蔵 頭に羽根飾り

1782年 コーコラン美術館蔵

デュ・バリー夫人 1789年 個人蔵

1789年 個人蔵
 
『図説 ヨーロッパ 宮廷の愛人たち』河出書房新社のなかで、著者・石井美樹子氏は、
上の二点について、「二点とも、夫人のパトロンのド・ブリサック元帥の依頼で描いた」(P54)と仰っています。
 
革命で元帥は逮捕、パリの街中で惨殺され、まもなくデュ・バリー夫人も逮捕されて投獄されます。
そして1793年、ギロチンにて処刑。
断頭台を前に取り乱し、泣き叫んだと言われています。
低い身分から美貌を武器に、国王の伴侶にまでなった彼女。あのままイギリスに留まっていれば、命までは落とさなかったかもしれないのに。
氏の言葉を借りれば、正に「栄華と悲惨を極めた生涯」だったと言えるでしょう。
 
 
 
本文内の画像はwikipedia(public domain)のものを使用しています。

「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 枕草子」を読んで

「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 枕草子」 角川ソフィア文庫


枕草子・第二六段の「心ときめきするもの」。

P50 「胸のどきどきするもの」として、挙げられている、
「 上等の香をたいて、一人横になっている時。 」
「 髪を洗い、お化粧をして、香りをよく薫(た)きこんで染みこませた着物などを着た時。別に見る人もない所でも、心の中ははずんでとてもすてきだ。待っている男のある夜、雨の音、風ががたがた音がするのも、はっと胸が騒ぐ。 」こと。

その解説に、「 薫き物はいろいろな香を調合して作った練り香。薫いて室内にくゆらせたり、衣服に染みこませたりした。(中略)シャンプ-してメイクしてお気に入りの香水をつけて、女性がおしゃれをするのは、だれかに見せようという時ばかりではない。 」。

好きな香水を、自分のためだけにつける。
または、ポットに数滴たらしてアロマテラピー
もちろん、練り香もいいよね。
服の裾に、シュッとトワレを一吹き、というのもやる。

この当時、お化粧はともかく、洗髪は結構大変だったのでは、と思うけど。

国語の教科書ではあの有名な「春はあけぼの」を勉強しますが、こういう何げない生活の一部を見ると、清少納言が、より身近に思えてきます。

昔、学校の推薦図書で『枕草子』を買ったけど、結局一、二度しか読まなくて、大学卒業後くらいに手放してしまいました。
しかし、その後やっぱりまた購入。
こういった親しみやすい口語訳で読むと、「あ、いまの私たちと同じ」と思ったりして、改めて面白さ発見です。


イメージ 1






夏の季語

飲みたい飲みたいと思っているせいでしょーか。

スーパーなどのドリンクコーナーに置かれた、甘酒がよく目に入ります。


甘酒、というと、冬場の「温かい飲み物」のイメージが強く、「冬の飲み物」だとずっと思っていました。

しかし、江戸時代、甘酒は夏の風物詩でもあった筈。夏バテを防ぐ、栄養ドリンクでした。

というわけで、「甘酒」は冬でなく、俳句の夏の季語



『英語で紹介する日本事典』の甘酒の項(P92)には、

「  バテ防止に飲まれる甘い酒

 traditional sweet Japanese drink for beating the summer heat  

との説明が。




まだしばらく雨の日が続くのかな?

天気のいい日の紫陽花です。

イメージ 1

季節の和菓子

 
ころん、と丸いかたちをしたお菓子。
 
見るだけでも幸せな気持ちになってしまう、このお菓子の名前は「朝顔」だそうです。
 
上品な甘さにもとても癒されます
 
 
イメージ 1
 
 
平安時代清少納言の『枕草子』に、「あまづら」が登場します。
 
まだ砂糖が普及する前。大事な甘味料だったのでは、と想像します。
 
「削り氷(けずりひ)にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる…」と書いているように、細かくした氷を金属製の器に入れ、甘葛をかけて食べたそうです。
 
きっと、彼女の脳内にも、美味しいものを食べたりする時に出るという、「幸福ホルモン」が出ていたのでは…。
 
 
昨年、以前からファンのお菓子屋さんの近くの職場に異動したのは良かったのですが、残業続きで開いている時間に間に合わない(泣)。
 
ようやく寄れて、あれもこれもと欲張りたいけれど、今回はこの可愛らしい「朝顔」で。
 
 
 

「召しあがりものには、杏や木苺」

夏も近くなりました。
 
主な資格試験も一段落し、私生活では断捨離を決行(予定)。
本格的に暑くなる前に
暑い中、やりたくないよね。
今年後半に来る試験の勉強は図書館でやろうっと。
 
日本の夏は暑い。
湿気が多い。
だれる。通常の二倍はだれる。
 
しかし。
夏の夜でも、この森の中では快適なのかも。
 
妖精の女王・タイターニアが、豆の花、蜘蛛の巣、蛾の精、辛子の種に用を申し付ける場面。
 
 
精々気をつけて、このお方にお仕えするように。お出かけのときは、先に立って跳びはね、いつも明るい踊りでお目を楽しませておあげ。召しあがりものには、杏(あんず)や木苺(きいちご)、紫の葡萄に緑の無花果(いちじく)、それに桑の実。それから、花蜂の巣から蜜の袋をそっと取って来ておくれ。お寝間の手燭(てしょく)には、あの蜂の、蠟(ろう)が一杯ついている腿がよい。それを燃える蛍の目につけて火をともし、いとしいお方の床入りを、そして朝のお目醒めを照らすのです。お寝みのあいだは、色うつくしい蝶の羽で、まぶたにさしいる月の光を払いのけてさしあげるよう。さあ、妖精たち、おつむをさげて、ご挨拶を。」(「夏の夜の夢」 福田恆存(訳) 『夏の夜の夢・あらし』 新潮文庫

 
寝ている間に、妖精パックに目に媚薬を塗られ、ロバ頭の職人に惚れてしまった女王様。
さすが、豪華な、最大級のお・も・て・な・し
 
先に立って跳びはねてくれなくてもいいけど、杏に木苺、葡萄、無花果。どれも好物です。私の。
桑の実も、たぶん。小さいころ食べて以来、なんかずっとご縁が無かったけど。
 
 
イメージ 1
 
「オーベロンとタイターニアの喧嘩」
 
食べ物が列挙されているからというだけでなく、テンポのいい、魅力的な台詞です。