西欧において、1400年前後に木版画が、1420年から30年頃に銅版画が登場したのだそうです。
そういえば、昔、友人と一緒に上野まで銅版画展を観に行ったよな。
ジュエリー史に登場した「デザイン画」。実は、このデザイン画の歴史が、同時に版画の歴史でもあるらしい。
P44 ルネサンス - 2
「銅版は金属の板に傷を付け、そこに入れたインクを紙に転写する。この金属の表面に入れる彫りは金銀細工の技術と同じもので、初期の銅版画は彼らが彫ったとも推定される。このふたつの職業はそれぞれ独立してゆくが、15世紀末あるいは16世紀の初めの頃は同じ職業だったのだろう。したがって初期の銅版彫刻師がジュエリーのデザインに使えるような画題を彫ったのは、決して不思議ではない。」
金銀細工師、といえば、アルブレヒト・デューラーも、金銀細工師の父からその手ほどきを受けていたのではなかったか。
「この銅版画という新しい技術に魅せられたのか、高名な画家2人が余技としてジュエリーのデザイン画を残している。デューラーとホルバインである。特にホルバインはヘンリー8世の宮廷に仕えながら、179枚のデザイン画を残し、今は大英博物館の所蔵となっている。ただし不思議なことに、どちらのデザインも実際に作られた気配はなく、現物のジュエリーは存在しない。19世紀の末頃になって、これを使ったと称するジュエリーが作られ、ホルバイネスクの名前で売られた。」
P74 ヴィクトリアン - 2 のところで、ヴィクトリア朝時代の「ホルバイネスク」ジュエリーの写真が掲載されていますが、著者の言葉通り、ホルバインのデザイン画とはあまり似ていない気が…。
楕円形の中心に、大きな石がどん。てあたりをお手本にしたのだろうか。
上の四つの作品は実際に観た事がありますが、一番下の絵画はまだ、だと思います(自信ない)。
祈る手
1508年
「デューラーは特に絵画やエングレービングによる銅版画の下書きを数多く残している。最も有名なものは1508年に作成され、現在はウィーンのアルベルティーナ美術館に所蔵されている『祈る手』である。それはヘラー祭壇画の十二使徒を調査したものである。彼は水彩とガッシュの絵も作り続けていた。それらは1502年作の『野うさぎ』や1503年作の『芝草』などに代表され、数多くの牧草地での優雅な静物や動物画を含んでいた。」(Wikipedia)
芝草
1503年
リアルで可愛いうさぎ。でも、うさぎって、狩猟の獲物だよね…食用だったりするよね…。
野うさぎ
1502年
切った梨を持つ聖母子
1512年
東方三博士の礼拝
1504年
人物が身に纏う衣装の質感に目が行きます。特に、聖母マリアの着る青に。