ひと串四文

江戸の庶民たちが使った「寛永通宝」。
 
この貨幣には、四文銭と、一文銭があります。
 
 
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四文銭の裏には青海波が掘られ、俗に、「波銭」と呼ばれたそうです。 
四文銭の登場時、「物価上昇の原因となる」と思われ、あまり歓迎されなかったようですが、その使い易さがわかると、次第に浸透していきました。
 
この四文銭の出現によって、物の値段が四文もしくはその倍数というふうになっていく傾向が見られた。」 (「江戸通になる本 秋山忠彌 著 新人文庫)
 
たとえば、冬の甘酒は一椀八文。
大人の風呂代八文。
そば代十六文。
ほんとに 四の倍数だよね。
 
 
値段の代わりに物で調節する場合もあった。たとえば串だんごである。
 
串だんご登場。
もとは「五個刺し」だったという、串だんご。
いまは大体四個、ですよね。
 
この四個刺しは四文銭の通用とともにはじまったのである。それ以前の串だんごは五個刺しで、一個につき一文、一串五文でいた。売っていた。ところが四文銭が出回るようになってからは、四個刺しの一串を四文銭一枚で売ることとなった。これも波銭の便利さからきている。
 
 
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四個刺しの、みたらしだんご。
 
四文銭が登場した、明和(1764-1772)の頃の「一文」は20円弱。四文は75円くらいだそうです。(「絵でみる江戸の食ごよみ」 廣済堂出版
 
ここでは川柳も紹介されていて、
 
「団子屋もりんきほうべん四つ刺し」
 
「りんきほうべんは「臨機応変」で、時代の変化に対応して、だんごを五個から四個にしたという意味。(P39)
 
大好きなおだんごに、歴史の面白さが詰まってます(笑)。