「モーツァルトの食卓」
朝日新聞出版 関田淳子
「君に代わって、僕はおいしいナシやモモ、それにメロンをいっぱいいっぱい食べたよ」
と書いています。
勿論、ナシやモモ、メロンは王侯貴族の食べ物であり、当時の庶民にとっては手の届かない食べ物でした。
今もだよ、との内なる心の声は、ひとまずムシしまして。
18世紀といえば、国王が強大な権力を手にしていた時代です。
決して良いとは言えない衛生環境に生きる庶民。質素な食生活を強いられた人々も多かったことは想像に難くありませんが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生まれたザルツブルグは、大司教領の首都ということもあり、食料品の種類はかなり豊富だったようです。
お菓子やシャーベット、南国の果物が大好きなヴォルフガング。現代の私たちとそう変わらない。
彼を歓待した貴族達によって提供される美味しい食べ物が、彼の創作意欲の源になったのかな、と考えるのも楽しいものです。
そのヴォルフガングが活躍した時代とは年代が違いますが、「メロンとモモ」で思い出したのが、この絵。
メロンと桃がある静物画
マネ (1866年) (Wikipedia)
P116
「ちなみにこれらの果物の温室栽培は、16世紀のイタリアで初めて成功した。ヨーロッパ・アルプス以北では、17世紀になってルイ14世のフランス宮廷菜園で行われるようになる。当初はオレンジ栽培が中心だったため、これらの温室は「オランジェリー」と呼ばれた。
18世紀になると、ヨーロッパの宮廷や貴族の庭園でも、次第に温室栽培が行われるようになった。そして18世紀後半、雨後の筍のように多くの貴族の庭園にガラスの温室が現れ、オレンジやダイダイ、アーモンド、アンズ、ホウレン草、アーティチョークなども栽培された。
シェーンブルン宮殿庭園内のオランジェリーでは、ダイダイ、ナシ、モモ、イチジク、パイナップルなどが栽培され、これらは女帝一家の食卓へと運ばれていた。」
「温室」の歴史は結構古く、古代ポンペイの時代にはあったそうです。
技術の発展のおかげで、私は今日も美味しいものをいただける、というわけですね。