江戸のスイーツ 「大江戸ものしり図鑑」より

 
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今年の桜たちも大変お綺麗でした。
 
観て楽しい桜と、
 
下は、食して楽しい季節の「京菓子」。
 
 
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「大江戸ものしり図鑑」主婦と生活社)(P260)によると、
菓子の世界においても「下り物(くだりもの)」が権威で、鈴木越後・金沢丹後などの有名店はいずれも京菓子が主体、幕府や大名家などの御用達(ごようたし)であることを売り物にしていた。
 菓子の種類としては餅菓子・饅頭・羊羹・おこし・煎餅など。
 
「大江戸の生活白書」徳間書店)(P56)にも、「菓子問屋の奉公人」の話(インタビュー?)の中に、下り酒の話題の次に下り物の菓子、桜餅の話が出てきます。
下り物といえば菓子もそうだな。京菓子は姿もいいし甘味もたっぷりだ。ところが、そんな上方優位の状況に一石を投じたのが、向島にある長命寺の門番山本新六だ。墨田堤の桜並木から大量に舞い散る落ち葉を塩漬けにして餅を包んだ。
これが桜餅の始まりだ、と語り、上方の道明寺を、桜餅を真似てつくられたようなものだ、と締めくくります。
 
 
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桜餅長命寺 江戸風桜餅
 
 
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桜餅道明寺 上方風桜餅
 
桜餅(wikipedia
 
 
 また、「大江戸ものしり図鑑」(P258)の『江戸かわら版』には、文化14年に柳橋で開催された大酒大食の会についても書かれています。
 大会は、酒組・菓子組・飯組・鰻組・蕎麦組に分かれ、自分の得意分野で参加、挑戦したようです。
 で、費用は自己負担、というから、すごい。
 
 菓子の組は「食べるものも組み合わせもその人ごとに違っている」のだそうです。
 現代のフードファイトなら、ケーキやシュークリームなんか登場しそう。
 
 ここで述べられている記録がまたオドロキなのですが、56歳の男性が饅頭50・羊羹7棹・薄皮餅30を食べ、65歳の男性は松風煎餅30枚・饅頭30・鶯餅80を食べたんだと。
 
 ホントに?
 
 …だとしたら、彼らの胃袋は正しく宇宙だ。いや、魔物が棲みついていたのか。