Dried persimmon(hoshigaki)

です。
 
干し柿にすべく、吊るしてみました。
 
大分しぼみました。
 
 
イメージ 1
 
 
これ以上しぼんだら、食べるとこ無くなっちゃわない?
 
若干、心配。
 
 
さあ、食べごろはいつだろー。楽しみ~。
 
一口で終わっちゃいそうですが。
 
 
 
柿 Persimmon
 
Persimmon trees are planted in the gardens of many traditional houses in Japan.
In autumn, ripe persimmons are hung from the eaves of some houses to make dried persimmons.
 
日本の多くの伝統的な家の庭には、柿の木が植えられています。
秋には実った柿を軒先につるし、干し柿を作ります。
(讀賣新聞 英語歳時記 2013年11月21日 柿 Persimmon)
 
astringent persimmon 渋柿、overripe 熟れすぎた、と【豆知識】にもあり。
 
 
イメージ 2
 
軒先で食べ放題。
(嘘です)
 
 
 
「醂し柿(さわしがき)」、という言葉。goo辞書によれば、渋柿の渋を抜いて甘くしたもの、だそうですが。
 
祖父が干し柿を作ったとき、これは焼酎でね、とそのレシピを説明されましたが、昔も今も食べることしか能も関心も無い私。
へー。すごーい。と聞き流し、「じゃ、また作って送って」。 じいちゃんゴメン。
 
 
卑弥呼は何を食べていたか」 廣野卓著 新潮新書
 
果物類・堅果
古史料に菓子とあるのは、いわゆる「お菓子」のことではなく、「果物」です。果(か)も子(し)も実を意味します。モモは桃子と記し「モモノミ」と読みます。梨子は「ナシノミ」です。現代の果物類は品種改良が進んで、卑弥呼時代とは糖度や肉質などが改良されています。
しかし、栽培品種か自生種かのちがいはあっても、現代とあまり変わりない品種が卑弥呼時代にも見られます。モモ・カキ・ウメ・スモモ・ビワ・ナシ・タチバナクルミ・ヤマモモ・アンズ・アケビ・クリなどが卑弥呼の味覚を楽しませました。
(第一章『魏志倭人伝』に卑弥呼の食を探る P46)

古代にもあったブランドもの
柿は品種の多様さから、古代からのブランドがありそうですが、カキの原種はすべて渋ガキで、突然変異による甘ガキが発見されるのは鎌倉時代との説があります。甘ガキの品種が固定するのは江戸時代初期です。鎌倉時代に木についたまま渋が抜けたカキを木醂(こざわし)と呼んでいます。奈良時代にも、このようなカキが食べられていた可能性はありますが、主体は干しガキです。
(第四章 グルメな長屋王 P172)
 
 
結構グルメな長屋王。自家製チーズも食べていたらしい。
タイにアワビにシカ。豪華な食卓ですねー。ちゃんと調味料も使われている。
 
また、『類聚雑要抄』(るいじゅうざつようしょう)と木簡の記録を参考に、再現された、ある日の長屋王の食卓(P149)の、「菓子類」にはちゃんと串柿の名が。
 
ああ、お呼ばれしたい。
 
もちろん卑弥呼の食卓も興味あります。