はい、チーズ。

私はチーズが大好きです。
チーズなら何でも好きなのですが、強いて一番を挙げるなら、ゴルゴンゾーラのピカンテ。
 
小さい頃観た『アルプスの少女ハイジ』の食事のシーンでは、とろりとしたチーズがなんとも美味しそうでしたねえ。
また、ドイツの語学学校で一緒だったスイス人の友人が、お弁当に買ってきたシンプルなパンの上にカマンベールチーズをのっけてレンジでチンして食べているのを見たときは妙に感動したものです。とろとろになったチーズがすごく美味しそうでした。私ならいきなり齧りついて、パンを主食に、チーズをおかずにするとこだけど。
後に彼女の家に泊めてもらい、お父様ご自慢の「本場のチーズフォンデュ」をご馳走になった時も感動、と共に堪能。

さて、古代エジプトローマ帝国でも食されてきたチーズ。
その歴史は古いけれど、
中世ヨーロッパのチーズの記録としては、九世紀にイタリアでゴルゴンゾラ(青カビチーズ)がつくられたというのが最初である。フランク王国カール大帝(位768~814)も、この青カビチーズには目がなかったらしい。
中世を通じてチーズの品種改良の担い手は修道院、特にシトー修道院だった。有名なチーズが出現した時期を調べてみると、スイスのエメンタールは十五世紀、イギリスのチェダーは一六世紀というように比較的新しい。オランダの「ゴーダ」は、一七世紀にオランダ人により日本にもたらされた
。」
『知っておきたい「食」の世界史』宮崎正勝著 角川ソフィア文庫
 
案外、最近。
 

そして私は豆腐も好き。
 
和食の代表食材のひとつである豆腐は「中国に侵入した遊牧民のチーズを模倣してつくられるようになったという説がある。」とあります。
もともと東アジア世界には家畜の乳を利用する文化がなかったため、チーズは普及しなかった。しかし、魏晋(ぎしん)南北朝(220-589)から唐(618-907)にいたる時代は例外で、遊牧勢力の中華帝国への進出が波状的に繰り返され、遊牧民の食文化が中国社会に浸透した時代だった。」
 
この時代に広まった食材として、
 
牛乳を加熱濃縮した酥(そ)、軟らかいヨーグルトのような酪(らく)、固めのヨーグルトあるいはチーズというべき乳腐、バターあるいはバター・オイルのような醍醐
 
が挙げられています。
 
最上の美味を指す「醍醐味」という言葉があるように、特に醍醐はすばらしい味わいの食物とされていた。
 乳腐(チーズ)も珍しい食材として一時支配者層の間に普及していたが、遊牧勢力が後退すると乳製品は姿を消し、身近な大豆を使うチーズの代用品がつくられるようになる。それが豆腐だというのである。ちなみに「腐」は、中国では柔らかで弾力のある固体を指す。
 
以前居酒屋のお品書きで、豆腐の「腐」が、豆「富」と書かれてましたが、なんかそれもアリだな、と思いました。
豆富豆富で、美味しそうなカンジじゃない?
 
 
 
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これは「ホワイト・スティルトン・マンゴー&ジンジャー」。もちろん原産国はイギリス。
 
 
 
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土台はチーズケーキ。
 
チーズにはワイン、がお約束ですが、今回はどちらもコーヒーのお供としていただきました。
 
 
 
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家でひっそり咲いてた椿。